さて前回に引き続き「フィレンツェの一人インフェルノツアー」の続編をお伝えします。
前回の記事は「ピッティ宮殿〜ヴェッキオ宮殿」まででしたが、いよいよラングドン教授とシエナが「ダンテのデスマスク」を見つけるべく、
「ダンテの家」→「ダンテ教会(サンタ・マルゲリータ・デイ・チェルリ教会)」→「サンジョヴァンニ礼拝堂」と移動します。
まずはヴェッキオ宮殿を出てから「ダンテの家」に向かいます。
と、その前にここを忘れてはいけません。
ヴェッキオ宮殿の目の前にある、フィレンツェ憩いの広場「シニョーリア広場」にあるカフェ「リヴォワール」と「ランツィの柱廊」
ラングドンはヴェッキオ宮殿に訪る際は必ず、カフェリヴォワールのエスプレッソを欠かさないという事で、注文してみました。
エスプレッソとクロワッサン、美味しかったです。
何より、目の前に「ヴェッキオ宮殿」(ダンテのデスマスク)と「ランツィ柱廊」を見ながらエスプレッソを飲んでいる時間が最高の贅沢だと感じました。
フィレンツェに訪れた際は、カフェ「リヴォワール」は絶対に行ってみてください。オススメです。
そして、「ダンテの家」へ。
シニョーリア広場から小さな路地を通りダンテの家を目指します。
「VIA DANTE ALIGHIERI」と表示がある建物が出て来ます。
「ダンテの家」です。
ラングドン教授とシエナが目指したのは、このダンテの家から徒歩1分以内にある「ダンテ教会(サンタ・マルゲリータ・デイ・チェルリ教会)」です。
その教会がで「神曲」の「天国の25」を探すわけです。
ここは「ダンテの聖地」として崇められています。
私がダンテを好きになった原因の場所でもあります。
偉大な詩人の人生にふたつの重要な瞬間をもたらした聖地です。
この教会内はダンテの愛読者が好んで訪れる場所であり、
ダンテが9歳の時にひと目で恋に落ちた「ベアトリーチェ・ポルティナーリ」と出会った場所です。
そしてその恋が叶わず、ダンテがジェンマ・トナーティと結婚したのもこの教会です。
ダンテは結婚後もジェンマとはうまくいかず別居。
さらに、ダンテの最愛の人ベアトリーチェは24歳の若さで亡くなってしまったのですが、ダンテは結婚後も変わらずベアトリーチェを愛し続けたと言われています。
そして「サンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会」は現在、
「ベアトリーチェのお墓」になっています。
ここは「ダンテとベアトリーチェの教会」とされています。
教会内にはベアトリーチェに向けられたダンテの熱い視線が見受けられる絵や詩が多くあります。
ダンテが満たされず、報われず、成就しなかった痛ましい恋の教会なのです。
そして、約700年も前から多くの人がこの教会に訪れる理由は、ベアトリーチェのお墓を見にくる人よりも、お墓の横にある名物を見に来て願掛けをする事にあります。
「枝編み細工の籠」です。
質素な籠がベアトリーチェのお墓の隣に置かれています。
折りたたまれた紙が入っていて、観光客がベアトリーチェ宛てに手書きでしたためた手紙が入れられているのです。
今やベアトリーチェ・ポルティナーリは薄幸の恋人たちの守護聖人並みの存在になっています。
昔からの習わしによると、ベアトリーチェへの祈りの手紙をこの籠に入れると、利益があり、相手にもっと愛されたり、真実の恋が見つかったり、死んだ恋人を忘れる強さが身についたりする、と言われています。
そして、私が訪問したその日も世界中の多くの女性が教会内で手書きの手紙を泣きながら書き、籠に手紙を入れて帰っていっていました。
ダンテはベアトリーチェを想い「新生」を書き、「神曲」ではベアトリーチェはまさしく救い主の役を与えられ、ダンテを天国へ案内していく事になっています。
教会はひっそりと小さな教会でしたが、ダンテの愛読者と世界中の報われぬ恋に苦しむ人たちが集まっていて、まさに神聖な聖地という空気を感じました。
フィレンツェを訪れた際は「サンタ・マリゲリータ・デイ・チェルキ教会」オススメです。
さてここで、インフェルノのストーリーに戻ります。
ラングドン教授はここで「天国の25」が「サンジョヴァンニ礼拝堂」だという事に気づきます。
そして、サンジョヴァンニ礼拝堂に向けて移動します。
次回はその続編をお伝えします。お楽しみに。